市場をけん引したエルグランドと燃費競争の失敗

2-15

日産の経営が悪化しはじめていた頃、時代はミニバンへと移り変わり始めていました。
ホンダのオデッセイのヒットから、市場の要求が変化して来ていたのです。
そこで、日産は最上級車種として、エルグランドを投入して行くことになります。

大型ミニバンをけん引するエルグランド

日産としては、ワンボックス型の大型ミニバンで競争力がなく、ホンダのミニバンに対して優位性がありませんでした。
そこで、最上級なミニバンで3rdシートも使える車として、エルグランドを作り上げます。
座席に座る人は、みな満足できる出来上がりであり、非常に高性能なミニバンとして完成することとなって大人気になるのです。
ちょうど日産の経営が傾いていた時期であり、このエルグランドも日産を支えた名車といっていいでしょう。
時代的にも、ベンチャー企業の社長などが取り上げられるなど、格差が目立つじきで、こうした車がもてはやされることとなるのです。

確かに高性能であったことは確かで、2002年のモデルチェンジで2代目になっても、高い人気を続けることができました。
街を走る大型ミニバンといえば、どれもエルグランドだったといってもいいほど、好調なセールスを見せるのです。

トヨタの包囲網と日産の苦悩

問題はすぐにやってきました。
もともとこのクラスに強いトヨタは、若者をターゲットにしたベルファイアを大型ミニバンとして投入します。
その反面で、大人の雰囲気を漂わせるバージョン違いのアルファードも投入するのです。
さらに、もっと若い世代には、ヴォクシーのような一回り小さいミニバンも投入することで、エルグランドをあっという間に包囲します。

当時の日産で考えれば、そんな大きな展開はできません。
カルロス・ゴーンのもとで、リバイバルプランの真っただ中だった日産は、余計な経費を打ち出すことができず、結果としてエルグランドも失速して行くことになるのです。
それでも、質の高いエルグランドは、一部のユーザーに支持され、3代目も出来上がっていきます。

ハイブリッドカーの設定のないエルグランド

エルグランドの最大の問題は、質や室内の性能にあったわけではありません。
他の大型ミニバンには負けない質を持っており、最上級の仕上がりであることはまちがいのないことなのです。
しかし、時代は節約志向だったのであり、こうした大型ミニバンは、生活に大きな負担を強いるものでした。
低燃費が当たり前の時代でもあるなか、リッター5km程度しか走ることができないエルグランドは、維持することも難しい車となってしまっていたのです。

トヨタを含め、どんどんハイブリッドカーを投入する中、エルグランドの大きなボディを引っ張るハイブリッドカーを作ることができなかったのは大きなポイントでしょう。
ハイブリッドカーを投入することとなるセレナの好調なセールスもエルグランドに影響したことも確かです。

現在では、エルグランドはほとんど見かけない大型ミニバンとなりました。
それだけ他社が魅力的であり、日産自体もそこまでテコ入れしていない車となってしまったのは、残念な結果であるともいえるでしょう。

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日産リバイバルプランの功労者といえるモコと三菱自動車の燃費偽装問題

2-14

日産には、長年軽自動車はありませんでした。
自動車メーカーとして、トヨタとともに販売していなかったメーカーだったのです。
しかし、時代はコンパクトで経済性の優れた軽自動車を求めるようになってきました。
そこで、自社開発のノウハウがない日産は、OEMの形を追い求めます。

日産自動車初の軽自動車

軽自動車のノウハウといえば、やはりスズキとダイハツにかなうものはありません。
それだけの販売実績を持ち、開発能力を持っていたことから、日産は関係性のあったスズキとのOEMを模索します。
日産リバイバルプランの一つであり、のちの大問題を抱えることになる三菱自動車との連携にもつながっていくことになるのです。

OEMを受けるターゲットになったのが、MRワゴンでした。
大人気のトールワゴンであり、これをモコとして販売を開始するのです。
細かな違いはあったものの、歴代のモコは基本的にMRワゴンと変わらない性能を持っていました。
その中で大きな違いは、日産の安全基準で全車ABSを搭載しているということでしょう。
MRワゴンはオプションだったABSはモコには全グレード搭載されることとなるのです。

大ヒットを記録する2代目

日産初の軽自動車モコは、驚くほどのヒットになります。
差別化を進めたこともありますが、販売網の大きさの違いからMRワゴンを圧倒的に追い越した販売台数を記録するのです。
2002という、日産の転換期において、ここまでの販売台数を記録するとはだれも予想しなかったことでしょう。
日産のリバイバルプランを支えた名車となったモコは、マイナーチェンジをしつつ、2006のMRワゴンのモデルチェンジとともに、2代目にバトンタッチします。

2代目モコは、驚くことに、さらに大ヒットを記録するのです。
小さな差別化はあったものの、かわいらしいボディ形状も伴い、女性に高い人気になります。
性能的にも、燃費がよく、走行安定性も高かったことから、これ以上のない成果を上げるのです。

3代目と三菱自動車の燃費偽装のつけ

そして、2011年に3代目に変わります。
MRワゴンに送れてフルモデルチェンジすることとなりますが、今度はヘッドランプ形状に差別化がされて誕生です。
室内が広くなったうえに低燃費を実現しますが、日産はかねてから予定していた三菱との合弁会社に移行するプランを実行し、軽自動車のメインを共同開発したデイズに移します。
ところが、三菱自動車の燃費偽装問題が表面化し、デイズやデイズルークスの販売停止となって、プランは大きく頓挫することとなるのです。
しかし、MRワゴンは2016年で生産を中止することが決まっており、モコも2016年で販売が終了することが決まっています。
ここにきて、またもや日産の先見性の失敗が再燃するかもしれないのです。
危機を作った功労者ともいえるモコの存在を見捨てた罰が当たったともいえるかもしれません。

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日産の支え続けた孝行息子であるマーチ

2-13

日産が誇るコンパクトカーのマーチは、優秀な車です。
日産の経営が傾いたときも、支え続けたのはマーチでした。
このマーチがなければ、ルノーの支えがあったとしても、倒産していたことでしょう。

シンプルで汎用性の高かったマーチ

日産が誇るハッチバックのマーチは、1982年に生まれました。
トヨタのスターレットと市場を二分する人気であり、扱いやすいコンパクトなボディは、日本で非常に好まれたのです。
日産としても、日本車としても、ロングライフな車でした。
装備も最低限に抑えることができ、自分の好きなようにすることもできたのは大きかったでしょう。
非常にシンプルなボディ構成は、派生型のBe-1やパオ、フィガロなどを生み出し、レーシングフォーミュラーカーであるザウルスジュニアまで生み出すことができたのです。

日産を支えた名車の誕生

常に大人気だったマーチに、最も火がついたといえるのが2代目K11でしょう。
フルモデルチェンジをする際に、10年間はフルモデルチェンさせないと言い切り生産を開始しました。
やはり様々なボディ展開をしていく中で、のちにヒット車となっていく初代キューブも派生型です。

ヨーロッパ市場もターゲットにしており、非常にコンパクトでありながら質の高い車に仕上がっていました。
エンジンも1.0リッターと1.3リッターがあり、5速MTに4ATやCVTまで存在していたのですから、選択肢も多かったのです。

日本経済的にも大きな問題を抱え、日産も901運動の見誤りなどがあって、倒産まで秒読みと呼ばれていた時代でした。
そんな時に、整備性がよく、経済性の高さでも優位に立ったマーチは、全店舗販売になるなど日産を支えていったのです。
コンパクトな中にも高い性能を与えられたマーチは、他社の追従があったものの、好調なセールスを続けていきました。
世界中でさまざまな派生型も生まれ、日本では見ることがなかったセダンなどもあったのです。

カエルのマーチから海外生産へ

セールスが好調だったK11は、10年たった2002年にK12にモデルチェンジします。
ルノーと共同開発したBプラットフォームが採用され、1.4リッターエンジンも追加されることになります。
ヨーロッパでは、もっと高性能な1.6リッターまで存在しました。
カエルマーチなどとも呼ばれたK12も非常に好調なセールスで、カルロス・ゴーン体制になった日産を支えた名車といっていいでしょう。

このK12も8年間というロングライフで販売され、2010年にK13にモデルチェンジします。
国内生産をやめ、タイや中国で完全生産されるという、今までにはない生産方法に変更するのです。
低燃費の優れた車ではありますが、先代までのセールスにならないのは、やはり内装の出来にあるでしょう。
海外生産ということもあり、これまでよりもかなり精度が落ちる仕上がりは、安くても優れた車であったマーチの良さを打ち消したといえるからです。
軽自動車の台頭もあり、そこまでの優位性も持ちえない車となってしまったといっていいでしょう。

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若者たちに愛されたシルビアの軌跡

2-12

日産には、数多くの車種が存在しました。
その中でも、シルビアは廃止になった現在も、次は復活するといわれている車です。
名車といわれるほどに、何かを残したわけではありません。
しかし、運転の楽しさを教えてくれた車として、今でも絶大な人気を誇っているのです。

名車S13のデビュー

シルビアがうまれたのは、1965年のことでした。
非常に美しいラインを持つクーペとして、誕生したシルビアは、スカイラインやフェアレディZの陰に隠れ、売上的には成功したとは言えません。
ですが、そのフォルムは、今見ても美しいラインで出来上がっているといえるでしょう。

その後もモデルチェンジを繰り返しますが、時代に合わせさまざまなボディを与えられます。
大きな転機になってくるのが、5代目S13でした。
もっとも販売代位数の多いシルビアとなったS13は、若い年代に大人気になったのです。
軽快なボディに対して、マイナーチェンジ後には205psまでアップされたSR20DETは、高い機動性を与えました。
姉妹車となった180SXとともに、峠の走り屋などにも高い人気となるのです。
これが問題となることもありましたが、それだけ魅力的な車であったといえるでしょう。

失敗作のS14

シルビアは1993年にモデルチェンジします。
S14は、当時の日産の流れに乗り、居住性を上げろという営業サイドの要求により、全車3ナンバー化するのです。
評価の高かったS13に比べ、何ともつまらないデザインになったといわれてしまいます。

当時の車は、日産だけではなく、とにかく拡大傾向にあったといえるでしょう。
居住性の向上という名目で、車はどんどんと機動性を失っていくのです。
その代りに、パワーアップを目指しますが、車は重くなり、さらに鈍重な動きにしかならなくなります。
S14も例外ではなく、パワーは上がるものの、ボディの拡大とともに軽快な動きは失われて、人気も急降下して行くのです。

素晴らしい出来だったS15

失敗となってしまったS14から1999年に7代目となるS15が発表されます。
最大の変更点は、巨大化したボディをコンパクトな5ナンバーに戻したことでしょう。
走行性能も見なおされ、ヒット作になっていくのです。

SR系のエンジンはさらに改良され、スペックRのSR20DETは250psまで発揮します。
6MTを搭載しましたが、トラブルが多発し、これが唯一の問題点となってしまうのです。
実は、生産していたメーカーは、トヨタ系列の部品会社であり、相性が悪い問題だとまで指摘されることになります。
しかし、もともとマツダのロードスターように開発されたものなのであり、これを積むことにした開発陣に問題があったといえるでしょう。

それでも、S15は優れた車でした。
日産の経営悪化を陰で支えた車のひとつでもあったのです。
それも、カルロス・ゴーンが就任し、コストカットの対象車種となり、2002年に廃止されることになります。

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スカイラインGT-Rではなく日産GT-R

2-11

スカイラインGT-Rは、R34で終焉を迎え、新たに日産GT-Rとなりました。
R35と呼ばれることになる事実上の後継車種です。
GT-Rとして考えれば、3世代目ということが言えるでしょう。
しかし、GT-Rはスカイラインではないのです。
どんなにテールランプなどで飾ったところで、まったく縁のない車種となったといえます。

スーパーカーとしての生まれ変わり

R35は、完全にレース仕様として誕生しました。
そのため、これまでのGT-Rとは比較ができないほどの性能を持っています。
それもそのはずで、これまで伝統的に守ってきた羊の皮をかぶった狼として市販車をベースにしてきたのがスカイラインGT-Rだったのに対し、あくまでもサーキット性能にこだわり専用開発したのが日産GT-Rだからです。

R35はただ高性能なだけではありません。
だれが運転しても、高い性能を発揮できるように作られており、特殊な車ではあるものの、静粛性まで持たせたのですから、これまでのスポーツカーとは、明らかに別物であるともいえるでしょう。
それだけに、スーパーカーといえるのかどうかということに関して、多くの議論が巻き上がることとなったのです。

珍しいイヤーモデル制

このR35の特徴として、イヤーモデル制を取っているということが挙げられます。
日本車ではあまり見ることはありませんが、毎年少しずつ進化をさせていく方法です。
そのため、何年モデルといった考え方をしなければいけません。
見た目に大きな変更はされてきていませんが、細かなメカニズムは熟成を進められてきているといえるでしょう。

ただし、2017年モデルに関しては、かなり大幅なデザイン変更が入ります。
全長まで延長されることになるため、性能としても違いが出ます。
冷却性能まで影響が出るビッグマイナーチェンジとなるため、かなり分けて考えなければいけない車となるのです。

一般的に買える値段ではない

R35の特徴の一つとして、金額を抑えたということが挙げられます。
これはあくまでもスポーツカーとしての価格であり、スーパーカーとしての価格ではありません。
スーパーカーとしては格安ですが、スポーツカーとしては、一般のユーザーが手を出すことができる価格ではないでしょう。

確かに、性能から考えれば、驚くほどリーズナブルです。
しかし、1000万円を超えるモデルもあるのですから、これが一般的とはとても言えません。
どんどんと手が届かなくなっていったGT-Rは、もう過去の車とは異なる存在となってしまったともいえるでしょう。
だからこそ、もうGT-Rは終わったのだといわれているのです。

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R34GT-Rにみる羊の皮をかぶった狼の終焉

2-10

倒産寸前になっていた日産は、スカイラインGT-Rとして最終型を発表します。
スカイラインの伝説の最終章としてふさわしい性能を持って生まれてくるのです。
それも、R33での失敗を踏まえた作りになったからこそ、最上の評価を得たといっていいでしょう。

本当の意味でのGT-R

R34は、日産が最も経営に厳しい1999年という時期に生まれました。
ルノーの傘下となり、コストダウンを図っていかなければいけない時代、最高の走りをもとめてGT-Rは設計されていたのです。

R33では、あまりに巨大化したボディが不評であり、それがマイルドでありながらもGT-Rらしい荒々しさを削り落としてしまっていました。
その失敗を踏まえ、R34ではホイールベースを55mm短くして、全長では75mmもサイズダウンするのです。
これにより、きびきびとしてコーナーリング性能が戻ってきました。
第2世代GT-R最後の型でもあり、ダウンフォースも意識して作られたのです。

さらに、欠点であったブレーキのだれを少なくさせるため、空気をタイヤハウジングに貯める構造となっています。
この結果、風圧によって、ブレーキが冷却できるようにしたのです。

究極のスカイラインGT-Rを目指して

エンジンも、GT-Rとして最後になるRB26DETTが搭載されました。
スペック上は280psですが、実際にはさまざまな方法で抑え込まれており、ちょっとしたチューンで400ps近くまではね上げることができたのです。
それも真紅に塗られたRB26DETTは、とても美しく見えるでしょう。

さらに重量も余計なぜい肉を削られて作られており、ホイール1本当たり1kgも減らしたりしているのです。
もともと重量に問題があり、苦しめられてきたGT-Rとしては、最後にきて解決できるように動いたといっていいでしょう。
究極のスカイラインGT-Rを作りだしたことに間違いはありません。

スカイラインGT-Rの終焉

後期型も販売されましたが、あまり大きな変更は与えられませんでした。
実際に内装は質感を上げたりすることはしたものの、性能的にはほとんど違いはなかったのです。

その中でも、Mスペックだけは別格でしょう。
乗り心地と質感の向上を目指し作られたグレードで、大人のGT-Rとして最後に出したのも、日産が目指した本当のスカイラインGT-Rとしての意地だったのかもしれません。

羊の皮をかぶった狼は、ここで終了します。
GT-Rとして独立した車となっていきますが、初代GT-Rとコンセプトは全く異なるレースカーとなっていくからです。
スカイラインとの別の道をたどった段階で、もうスカイラインGT-Rは終わったといっていいでしょう。

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R33はGT-Rとして失敗した車だったといえるのか

2-9

R32は、大成功をおさめます。
しかし、日産の経営は傾き、取り返しがつかないほど悪化して行くのです。
そんな中、R33が登場することになりますが、さまざまな問題を抱えながら進化させることになります。

優れた車であったはずのR33

R32はとても優れた車であったことは確かです。
売上的にも優れていましたが、スカイラインとしては4ドアが売れなかったことは確かでした。
日産の経営上の問題もあり、何とか売り上げを伸ばすためにもっと広い車を要求したのです。

R32 は、コンパクトなボディにすることで、運動性能を高め、性能アップを目指した車でした。
そのおかげで、室内は驚くほど狭かったのが、売上低下の問題であったことも確かです。
しかし、ここから日産も恐竜の進化のごとく、巨大化させるだけの車づくりに着手することになります。

ひどい評判となっていくR33

R33は、全車3ナンバー化することにより大型化させ、居住性と快適性を求めました。
その中で、2ドアはショートホイルベースにする予定だったのにもかかわらず、同じサイズにしてしまったのです。
みためにもずんぐりしたものとなり、何とも重そうなイメージを作りだしてしまいました。

スペックを見てみると、世界最速の量産車であることは間違いありません。
R32を超えるタイムをたたき出し、確かに性能を引き上げた車でしたが、さらに重量をましたボディは、とても精悍とは言えない姿でした。
結果として、性能は高くても、R33なんざブタのエサとまで言われてしまうのです。

R33は失敗作だったといえるのか

R33はそんなにひどい車であったのかといえば、実際にはそこまでではありません。
非常に高性能な車なのは確かであり、他社の車と比較しても負けません。
曲がらなく止まらない車でもなく、トラクションもしっかりしていたのです。

ところが、日産の公報は、さまざまな方法で売ろうとしました。
中には性能をごまかし、プロドライバーにインプレッションをさせるなどということまでやってのけたのです。
結果として、評判は最悪のものとなり、売れ行きを落としていきます。
本来は素晴らしい車であっても、こうした販売戦略の失敗が評判を落とし、永遠と語り継がれていくことになるのです。
その点で、最もかわいそうなGT-Rとして、R33は記憶されてしまったといえるでしょう。

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GT-Rの見事な復活となるR32の成功と欠点

2-8

長らくGT-Rが誕生してこなかった時代、スカイラインのモデルチェンジとともにいつか出るのではないかと期待され続けてきました。
1989年8月、16年半ぶりにGT-Rが復活します。
8代目スカイラインとなり、性能向上のためにコンパクトなボディを作りあげ、最新の技術を投入することで、本当に満足することができるGT-Rが誕生するのです。

見事に復活を遂げるR32GT-R

時期はバブル絶頂期、日産は901運動を推進し、最新の技術を投入して8代目スカイラインを登場させます。
高機能を発揮させるため、できるだけコンパクトなボディにするという間違いのない方向性に舵を切るのです。
のちにボディ拡大により、自動車メーカーが失敗して行くことのまるで正反対だったといってもいいでしょう。

このR32は、驚くほどの高性能を秘めていました。
初代GT-Rが作り上げた伝説を復活させるだけの能力を持っていたのです。
レース車としてのベース車両なのであり、技術的にもシンボルカーとして作られました。
エンジンは専用のRB26DETTであり、徹底的にチューニングされ280psを発揮。
レース仕様では600psでも耐えられるだけの耐久性を持たせてあったのです。
2.6リッターなのも、グループA規格のJTCのレギュレーションに合わせるためでした。
このRB26DETTは、特別製のエンジンをレースに持ち込むのではなく、特別なエンジンを作ってしまえという発想があったといってもいいでしょう。

レースではそれまでの車をすべて時代遅れにしてしまうという快挙を見せます。
結果として、のちにGT-Rに合わせてレギュレーションを変更するということになってしまい、アドバンテージは薄れていくことになりますが、それだけのインパクトがあったということを記憶にも記録にも残すことになるのです。

強大なパワーと受け止める足回り

R32の特筆事項としては、それまでのGT-RがNAであったことに対して、セラミックツインターボを採用していることが挙げられるでしょう。
そして、FRが基本でしたが、ATTESA E-TSを搭載することにより、トルクスプリット型4WDになったということです。
つまり、強大なパワーを発揮させ、それを受け止める駆動方式を与えたといえます。
これが驚くべき性能をはっきさせ、とんでもない異次元のコーナーリング性能を作り上げることになったのです。

完璧な復活と不完全な重量の問題

R32はGT-Rとして完璧な形で復活しました。
しかし、何ら欠点がなかったというわけではありません。
特に心臓であったRB26DETTは、鋳鉄製のエンジンであり、チューニングに耐えることができる一方、非常に重いエンジンだったのです。

R32は、どんなチューニングをしてもフロントヘビーに悩まされ、ブレーキに負担をかけていくことになります。
のちのVスペックなどで、大容量のブレンボ製のブレーキキャリパーが採用されるのも、こうした欠点が顕著に表れてくるからなのです。
それでも、この化け物は、日本だけではなく世界のレースシーンを変えていってしまうことになりました。

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最強とよばれながらもGT-RではなかったRSターボ

2-7

日産の名車といえば、フェアレディZやスカイラインGT-Rとなるでしょう。
しかし、その陰に隠れ、史上最強のスカイラインといわれ続けているのがスカイラインRSなのです。
排ガス規制がかかり、自動車業界としては暗黒時代ともいわれた時期でした。
そんな1981年に6代目スカイラインは誕生するのです。

最も異端なスカイラインとして

排ガス規制により、ケンメリがあっという間に生産を終え、6代目スカイラインがデビューします。
スカイラインの歴史の中でも、4気筒エンジンであるFJ20E型を搭載することになるのがRSだったのです。

GT-Rを名乗るための条件として、6気筒エンジンであるということがあります。
ところが、FJ20型は4気筒なのです。
それでも、DOHCツインカム4バルブで150psを発揮し、商業用のH20型をベースにすることで高い耐久性を持っていました。
チューニングすることによって、500psでも耐えられるといわれたほどの強度を持っており、最高レベルのポテンシャルを持っていたのです。
それでも、このエンジンは6気筒ではなかったため、GT-Rではありません。

スーパーシルエットへの復帰

1983年には、ターボを追加し、190psまで発揮できるようになったRSターボが発売されます。
今では考えられませんが、滑らかに出力を上げていくのではなく、ブーストがかかった瞬間に急激な加速を見せるどっかんターボと呼ばれたのです。
車体も軽かったせいで、直線では驚くほどの加速力をみせました。
ただし、低速はスカスカであったため、峠などではとても扱いにくい両極端な性能を見せたのです。

そんなRSターボは、レースにも復帰します。
時はシルエットの時代で、スカイラインスーパーシルエットとして姿を見せることになりますが、その時の出力は600psもあったといわれているのです。
これもまた最強伝説の一つといっていいでしょう。

今でも魅力あふれるRSターボの鉄仮面

マイナーチェンジをうけ、後期型になるとフロントマスクが変更となり、鉄仮面と呼ばれるようになりました。
1984年には、インタークーラーも追加され205psまで出力アップするのです。

あまりにも高性能だったRSターボは、今でも魅力あふれる車であることは間違いありません。
モータースポーツへの復帰ということもありましたが、異端の4気筒エンジンでなければ、間違いなくGT-Rだったのです。
それでも、異端だったからこそ、今でも人気であり、伝説であるともいえるでしょう。

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プリンス自動車が産んだスカイラインとハコスカとケンメリのGT-Rの系譜

2-6

1957年、まだ日産に合併される前のプリンス自動車でスカイラインが誕生します。
高級車の位置づけで、やがてその座をグロリアに譲りファミリーカーとなりまずが、1964年のスカイラインGTで日本グランプリにデビューするのです。
ですが、当時最強とうたわれたポルシェ904に接戦ながら敗北し、GT-Rの基礎となったR-380が生まれます。

プリンスの最高傑作GT-B

1965年2月、R-380はポルシェ904をターゲットにした車であり、グランプリを制覇するために作られました。
この車がなければ、のちのGT-Rは生まれてこなかったといってもいいでしょう。
今でもGT-Rといえば赤いバッジがついていますが、初めてつけたのがこのR-380だったのです。

その後、1965年9月にスカイライン2000GTがGT-Bとしてデビューします。
54Bとも言われますが、青バッジをつけた車で、翌年の日本グランプリの特殊ツーリングカーレースでR380とともに優勝して行くのです。

しかし、プリンス自動車は慢性的な赤字企業であり、どんなにいい車を作っても、開発費のほうが上回るという体質を改善することができませんでした。
結果として、当時の通商産業省主導の下で、日産と合併することになるのです。

ハコスカの誕生

日産と合併後、スカイラインなどはなくなってしまうのではないかといわれていましたが、ほとんどの車種が残されます。
その中で、すでに開発がすすめられていたS74型と呼ばれるスカイラインは、PGC10型として1969年に誕生するのです。
その中には、セダンボディでありながら2000GT-Bの流れを持つGT-Rが含まれていました。
これが名車とうたわれるハコスカの誕生です。
エンジンはR380に使われていたGR8型を生かして再設計したS20型であり、直6気筒24バルブDOHCという、当時最先端の技術を生かしたエンジンでした。
ツーリングカーレースのために作られたといってもいいGT-Rは、JAFグランプリでデビューウインを飾るのです。
1970年には、ハードトップのKPGC10型が誕生し、ホイールベースを短くすることでさらに高性能を発揮しました。

公道仕様として生まれたケンメリGT-R

1972年にモデルチェンジを行い、スカイラインは4代目となります。
ケンメリの誕生ですが、キャッチコピーがケンとメリーのスカイラインだったからです。
デートカーとして知られていたスカイラインらしいキャッチコピーだったともいえるでしょう。

GT-Rは2ドアハードトップをベースに1973年に登場します。
あくまでも市販車として公道を走ることを前提に作られたGT-Rであり、S20型エンジンは素晴らしい性能を発揮したのです、
足回りも旋回性能を高めるために考えられており、必要な制動力を得るためにブレーキも4輪ディスクでした。
そんな高性能なケンメリGT-Rは、4カ月だけの販売だったこともあり197台しか作られていません。
そこには排ガス規制の問題があり、生産を中止しなければいけなかったからです。

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