世界中のスポーツカーに喧嘩を売ったフェアレディZの誕生

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日産の中でいろいろな車が変わって行く中、フェアレディZだけは廃止されることも、名前がなくなることもなくきています。
一時期、フェアレディZは生産が停止されたこともありましたが、2年で復活しているのです。
カルロス・ゴーンが社長になったことで消えてしまうのではないかと危惧されていたことだったのですが、絶対になくさないとまで明言した車でもあり、見事に生産を再開したといっていいでしょう。

魅力的な車を目指したフェアレディZ

初代フェアレディZであるS30型は1969年に生まれました。
ヨーロッパの高級GTにも負けない魅力的なスタイルと性能を目指したのです。

世界中で大ヒットを記録することとなりますが、およそ10年間で約55万台という当時では驚くべき数を生産・販売します。
世界一売れたスポーツカーと称されるようにもなり、名実ともに名車となったといっていいでしょう。
直接的に目標としていた、ポルシェ911やジャガーEタイプに対して高性能且つ安価なクルマづくりがコンセプトだったことから、世界の日本車の対するイメージを変えることができたのです。
ミュージカル「マイ・フェア・レディ」からとられた名前は、それ以上に美しく世界で花開いたといってもいいでしょう。

どんなものでも2流だった時代

それまでの日本車は、どんな車を作っても2流の車と呼ばれていました。
ひどい話、ペットのおもちゃともいわれるほどだったのです。
高速走行など考えて作られていなかったため、エンジンは故障しやすく、オーバーヒート連発するような出来のものしか作ることができませんでした。
寒冷地での使用も考慮されておらず、冬場はエンジンにお湯でも掛けなければかからなかったレベルなのですから、当然競争にはなっていなかったのです。

整備性の高さまで1流だった

性能を見てみると、実に優れていたことがわかります。
軽量のモノコックボディを採用し、サスペンスは前後ともにストラット式の4輪独立懸架と当時の限界レベルの技術を投入。
エンジンは、今でも名機といわれる2.0リッターL型6気筒SOHCエンジンで、当時最先端の技術だったのです。
それも手堅い選択であり、信頼性という面でも優れた組み合わせをしたといっていいでしょう。

ちゃんと北米には、2.4リッターエンジンを投入して、ビッグパワーエンジンに対抗できるようにしました。
高性能でも複雑怪奇なジャガーやポルシェに対して、整備性の高さの優位性もあったのです。

初代フェアレディZは、本当に優れた車であり、日本のスポーツカーの幕を開けたといっていいでしょう。

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