カルロス・ゴーンがOKを出したZ33フェアレディZと数奇なつながり

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倒産寸前の状況からやっと抜け出し、光が見えてきた日産。
2000年にカルロス・ゴーンがルノーからやってきたことで、経営を再建させていくことになるのです。
その中で、開発も販売も停止されていたフェアレディZは、停止した2000年から実は開発されていきます。
2年のブランクを開け、Z33が登場するのです。

日産の再建とコストキラー

カルロス・ゴーンという経営者は、ルノーにおけるポジションを維持しつつ日産にやってきました。
コストキラーとも言われ、再建のために様々なコストを削減させ、見事に日産を復活させていくのです。
その中で、排ガス規制の問題もあり先に進まずに休止していたフェアレディZを復活させます。
カルロス・ゴーンは、フェアレディZほどの車を廃止するべきではなく、もっと進化させて販売するべきだと考えていたのです。
彼は、コストキラーやコストカッターと呼ばれるほど合理主義の人ではありますが、それ以上に自動車好きだといえます。
もっとかっこいいフェアレディZを登場させると公言し続け、2002年にZ33が登場するのです。

カルロス・ゴーンの愛したフェアレディZ

この背景には、カルロス・ゴーンが、フェアレディZを愛していたということがありますが、あまり知られていないことでしょう。
まだミシュランにいた時代、彼の愛車はフェアレディZだったのです。
そして、開発をした日産の片山豊を敬愛していたのですから、どうしてもフェアレディZをなくしたくなかったともいえるでしょう。
スポーツカーの歴史の中で、価値観というものを変えた存在であるフェアレディZは、復活させなければいけなかったとわかっていたのです。
結果として、片山豊と話し合いの場を持ち、のちに相談役として復帰させていくのですから、偏愛といってもいいでしょう。

大人のための車として

Z33は、ボディも大きく高級志向のスポーツカーとなりました。
それまでの日産のボディの拡大政策とは異なり、原点回帰を目指した車として出来上がっていったのです。
それも2シーター専用であり、座っただけでドライブの楽しい映像を見ることができる。
そんな車を目指したといっていいでしょう。
大人のための車なのであり、独自の世界観を持った車として生まれて、他に比肩する車は存在しない優雅な車となったのです。

競争し続けてきた、GT-Rとも全く別の路線を歩むこともできるようになりました。
ダットサンが作り上げ、日産の看板として改めてフェアレディZは大きく羽ばたいたといっていいでしょう。

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